今だからこそ高まる魅力 
“小田原マイクロツーリズム“のススメ
〜小田原駅周辺エリア編①〜

マイクロツーリズム」、というワードをご存知でしょうか?
マイクロツーリズム」とは、自宅から1時間から2時間圏内の地元または近隣への宿泊観光や日帰り観光を指します。
 
コロナ禍で遠出や旅行が簡単にできなくなってしまったいま、「地元を旅する」の価値がさらに高まっています。
何と言っても小田原は神奈川県有数の観光地。
長年住んでいると地元の良さにはなかなか気づきにくいもの、でも小田原には魅力や良さがいっぱい!
ということで、本コラムではマイクロツーリズムで小田原をのんびり歩き、知られざる小田原の魅力をご紹介いたします。
今回は小田原駅周辺エリア編①は小田原駅の深い歴史のご紹介です。
 
今回、ガイドをしてくれたのはまち歩きガイド歴10年というまち歩きコーディネーター平井丈夫さん。
平井さんは自家焙煎ケントスコーヒーを営みながら、小田原の歴史やまちの生い立ちなど楽しくご案内するガイドをされています。
 
まずは毎日通勤や通学で何気なく使っている小田原駅。小田原駅には長く深い歴史があります。
少し歴史を知るといつもと違って見えるかもしれません。

知っているようで知らない小田原駅

現在の小田原駅は平成15年、商業施設がある建物は平成17年に完成をしました。
その前の小田原駅、皆さんは見たことありますか?
 

じゃん!実は東海道線の改札の上に今も刻まれている昔の小田原駅の姿は開業当時の写真です。
小田原駅は今から約100年前の大正9年に国鉄(日本国有鉄道)の駅が出来ました。
100年前から小田原駅があったなんてビックリ!なのですが、実はもっと古くからある駅が近くにあるのです。
それが小田原駅から2つ隣の「国府津駅」!小田原駅よりも35年も前、明治20年には完成をしていたそうです。
今のJR御殿場線が現在の東海道線の時代でした。
ではなぜその当時小田原駅は存在しなかったのでしょうか?
それは、熱海の先に「丹那トンネル」というトンネルがありますが、
当時そのトンネルの開通はおろか、トンネルを掘る技術もなかったのでとても効率は悪かったのですが、仕方なく山周りをしていたことが理由です。
 

開業当時の様子。待望の小田原駅の開業にどんちゃん騒ぎだったのだとか。

今となっては当たり前にある存在ですが、当時は鉄道が通る予定がだいぶ伸びてしまい不便な生活だったのではないかと想像すると普段何気なく使っている小田原駅に愛着がわきそうですね。

先ほどの写真にも写っていましたが、駅の前に停まっている車は全てタクシーです。よく見ると運転手さんが制服を着ています。
このタクシー、箱根町の宮ノ下にある富士屋ホテル専用のタクシーなのです!
当時、外国人の方が列車を使って小田原駅まで来て、そこからホテルに行くのに利用されていたそうです。
いまでもこの系列のタクシー会社が残っているのだとか!当時と同じ方法で箱根へ行くのも趣があって良いかもしれませんね。

大正9年に開業し、完成した小田原駅ですが、そのわずか3年後に悲劇が襲います。
大正12年9月1日起こった関東大震災でほとんど震源地だった小田原はほぼ壊滅。小田原駅周辺も甚大な被害を受けました。
 

このような深い歴史があり、現在も過去も私たちの生活の中心となる存在の小田原駅。

さて、小田原駅が出来る前、ここには何があった場所かご存知ですか?
正解は「神奈川県立第二中学校」です。今の「神奈川県立小田原高校」なのです。
 

ちなみに神奈川県立第一中学校があったのは横浜。
小田原は城下町だったので本来は明治維新期の廃藩置県で県庁になるはずだったのですが、神奈川県は横浜の港が大事だったので横浜になってしまったという苦い歴史も・・・。
そんな歴史もあり、第二中学校は小田原に開校されました。
その後、小田原駅が出来る前に八幡山に移転。小田原駅が開業しました。

東口のタクシー乗り場横にこのような記念碑が立てられていました!
いつも見慣れた景色も休日に観光として出かけたり、少し歴史を知ってから訪れたり、視点を変えると不思議と違って見えて来ます。

コロナ禍で自由な外出や旅行が出来ない今、自身が住んでいる地域を旅行するという新たな体験をしてみてはいかがでしょうか?

次回は小田原駅を飛び出し、小田原駅周辺のちょっとディープな観光ができる情報をお届けいたします。
 

ページトップ