〝旅〟とともに歴史をつむいできた海よりのまち
「万年町」エリア(浜町周辺)

〈東海道〉と〈甲州道〉が交わる「高梨町」の交差点。

夏のバカンス、秋の行楽、と世の中は旅行シーズン真っ只中。
「旅」について、歴史を振り返って考えてみると、古くから日本には〝目的の地に向かいながら、道中を楽しむ〟スタイルが多かったように思います。
そして、小田原はそんな「旅」ととても縁の深い土地。
まず、言わずと知れた〈東海道〉9つ目の宿場であるということ。
箱根の関所に向かう前、旅人がほっとひと息ついたのが『小田原宿』でした。
また戦国時代には、足柄峠を越えて甲州方面に向かう古道〈甲州道〉(※今の甲州街道とは違う道)の起点でもありました。
そんな、時代も行く先も異なる2つの〝旅路〟が交わるエリアが、実は、小田原の海よりの町・浜町のあたりにあります。
明治8年〜昭和40年頃まで「万年町」と呼ばれていたそのエリアは、江戸時代には「古新宿町」「万町」「高梨町」「青物町」「一丁田町」「唐人町」として存在、それぞれに独自の歴史や文化を育んできました。
今回はそんな歴史に思いをはせながら、古のエリア「万年町」を紹介したいと思います。

〝食〟の思いをつなぐ、元漁業の町
「古新宿町」

今の浜町4丁目のあたりにあったのが、「古新宿町」。
東海道から見ると海側の場所になります。
漁業の中心地であり、早川に漁港ができるまでは、ここには多くの漁業関係者が住んでいたと言われています。
今も町の真ん中に海の神様・八代龍神を祀る「竜宮神社」が鎮座し、当時の気配を伝えています。
現在はどちらかというと生活の香りただよう住宅街の趣き。
お店も、〝食〟に関わる老舗が多いのが印象的です。
明治20年創業の「志村屋米穀店」は、地元産のお米や自社農場で育てた農薬不使用米など、こだわりのお米づくりで地元の人たちから信頼されているお米屋さん。
大正11年創業の「田中屋」は、梅干し・漬物・佃煮などを販売するお惣菜店。伝統産業を伝える店舗や工房を選定した『おだわら街かど博物館』の一店としても知られています。
「とりうみお惣菜店」は、コロッケなどの揚げ物が中心のお惣菜屋さん。住宅地の中で、日々地域の人たちに揚げたてのお惣菜を販売しています。
漁業の町から生活の町に変化した「古新宿町」。けれど、〝食〟への思いは変わらず大切に営みを続けています。
「とりうみお惣菜店」

〝よろず〟スピリットあふれる商人の町
「万町」

左から、「小田原蒲鉾 いせかね」「わきや蒲鉾店」「山上蒲鉾店」

「小田原おでん本店」

「KEITO」

「いち麹」

今の浜町3丁目のあたりにあったのが、「万町」。
読みは「よろずちょう」ですが、昔から「よろっちょう」と人々に親しまれてきました。
ひとことでいうと、いわゆる〝商人の町〟。
〝数多くのもの〟を意味する「よろず」の言葉通りに、様々なものを販売するお店が並んでいたと言われています。
今も、古新宿町から入ってすぐの場所には「小田原蒲鉾 いせかね」(創業180余年)、「わきや蒲鉾店」(創業120余年)、「山上蒲鉾店」(創業140余年)と、かまぼこ店の老舗が軒を連ね、この地が培ってきた〝商い文化〟の勢いを感じさせます。
一方、近年増えてきたのがこだわりの飲食店群。
「小田原おでん本店」は、それら老舗かまぼこ店(全11社)のかまぼこや、地元商店の食材を使ったオリジナル種が観光客にも人気のおでん屋さん。
最近オープンしたばかりの「KEITO」は、昼はフルーツロールケーキが評判のカフェ、夜は伊仏創作料理レストランと、2つの顔を持つお店。
こちらもオープンしたての「いち麹」は、有機麹を使った発酵定食のランチ&喫茶という、今までにない食のスタイルを提供している飲食店。
飲食店も〝よろず〟スピリットそのままに、多様なお店が並んでいます。

東海道と甲州道の
クロスポイント
「高梨町」

「こめこめこ」

「二十三屋」

「Sent.」

「あきら食堂」

今の浜町3丁目の西側と本町2丁目の東側のあたりにあったのが、「高梨町」。
〈東海道〉と〈甲州道〉が交差する、「万年町」エリアのポイント地点です。
江戸時代には、旅人や荷物を運ぶ人足や馬を備えた〝問屋場〟があったとも言われています。
旅人が道中の気持ちや行動を切り替える場であり、交流の場でも起点でもあった、重要な町。

その土地のもつ空気からか、近年は新しい感覚や技術、センスとともに、新規開業するお店も増えています。
2014年にオープンしたのが、米粉パンのお店「こめこめこ」。小麦が苦手な人に安心というだけでなく、もちもちした食感にファンも多いパン屋さんです。
2020年にオープンしたのが、ガラス作家のアトリエ兼ショップ「二十三屋」。隠れ家風の店内では手づくりの焼き菓子なども販売しています。
2022年には、栄町のセレクト雑貨店「Sent.」もこのエリアに移転。企画展示や飲食スペースを活用したポップアップイベントなども不定期に開催。新しい交流の場にもなっています。
一方、まち中華の名店「あきら食堂」をはじめとする、昔から親しまれてきた店も健在。変わらない存在感で町なかに佇んでいます。

〝市〟の気風
そのままに進化
「青物町」

高梨町を〈甲州道〉で曲がるとあるのが、「青物町」。
商店街の名称としても残っているので、馴染みのある方も多いのではないでしょうか。
まさにこの商店街そのものが「青物町」のエリアになります。

商店街そのものがエリアとなる「青物町」。

「清風楼」

「野澤作蔵商店」

古くから、地域でとれた野菜や果物、魚などを販売する〝(青物)市〟が立っていたと言われ、それがそのまま名前になった歴史をもつ町。
老舗の飲食店も多く、「鳥かつ楼」や「清風楼」はうなぎの名店としても知られています。
近年では「ジャンジャン」(ホルモン)、「満月」(牛タン)、「牛鉄勝蘭」(ステーキ)と、肉料理のお店が多いことも話題となりました。
また、観光地・小田原の影響を感じることができる場所でもあります。
土産物の企画・卸し販売の「野澤作蔵商店」では、店頭や店内の一区画で直接お土産を購入することが可能。
『街かど博物館』の一店でもある「松崎屋陶器店」では、2階を資料や陶磁器などを展示する〝博物館〟として開放。立ち寄りスポットとしても人気です。
時代は変わっても〝市〟の気風はそのままに、生活の場として、観光の場として、進化を続けています。

甲州道の
面影を思う
「一丁田町」

「むすび処 茶のまある」

〈甲州道〉を進むと青物町の次にあるのが、「一丁田町」。
今の「国際通り」の中の最初の一部分にあたります。
ここも、江戸時代にはやはり〝商人の町〟。
けれど、どちらかという衣服の店が多かったと言われています。宿も数軒あったそう。
現在は、宿の姿はなく、商店の数も少なくなっていますが、「さくらい呉服店」「マルク洋服店」(学生服)など、いくつかの衣服に関わるお店の存在が歴史の面影を感じさせます。
ここでひと休みしたい時にオススメなのが、「むすび処 茶のまある」。社会福祉法人の事業所内にある、食事&喫茶スペースです。
ランチは類を見ない安さ、さらに味もおいしいと、地元の人に評判の穴場スポットです。
利用者さんも作業に加わってつくっているという食事は、どこか素朴でほっこりとした味わい。
テーマが〝地域のお茶の間〟というこの喫茶でくつろぎ、ゆるやかに交流しながら、町の歴史に思いをはせるのも、古の旅路の休み処らしくていいかもしれません。

お城へ向かう
〝特別な旅の道〟
「唐人町」

今の浜町1〜3丁目の国道沿いあたりにあったのが、「唐人町」。
町人町の多い「万年町」エリアの中にあって、唯一の武家町です。
今はバイクのお店などが並ぶ、いかにも幹線道路らしい通りですが、「旧小田原城移築城門」(※非公開)やお寺などもあり、ひそかに武家町の落ち着いた雰囲気を感じることができる場所でもあります。
〈東海道〉や〈甲州道〉とは交わっていませんが、実はここも、〝特別な旅の道〟として存在していました。
寛永11年の将軍家光の上洛に先立って、いわゆる〝御成道〟(将軍家のみが通行できる道)としてつくられたのです。

「旧小田原城移築城門」(※非公開)

〝御成道〟としてつくられた「唐人町」の道。

様々な人が、様々な立場で、様々な思いとともに通った、それぞれの道。
時代を超えた数々の「旅」の通過地点であり、拠点でもあった場所が、「万年町」のエリアに重なり合っています。
そして、そういった「旅」は、町々の個性にも大きな影響を及ぼしているのです。

現在は交通手段も発達し、道中を楽しみながら旅することも少なくなってしまったかもしれませんが、「旅」が育んできた古の町に思いをはせ、時には足をとめ、時には目的地として訪れてみてはいかがでしょうか。

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